ただの一滴もいつかは大海へ

特にこだわりもなく、継続が苦手な人間が一つ一つ新たなことを学び、その過程や得られた結果を報告するブログです。

慣れ

難しくて何回も失敗したことが、段々成功するようになって、いつの間にか無意識でも出来るようになったこと

 

が、慣れなのかなと何となく自分の中で定義している

 

上の文章の中の

 

「無意識でも」

 

は中々に厄介

 

 

 

無意識ということは、意識をしていない

 

つまり、意識が自分の中にない状態である

 

ということ

 

いやいや、意識はあるがな、ただ動かしている方に気が向いてないだけ

 

ってなるんだけども

 

 

 

動かしている部分はやっぱり自分の意思と離れて勝手に動いてますよね

 

 

 

もちろん、日常で一つ一つのことに全て気を回していたら、疲れて夜まで持たないわってなると思う

 

ただ、逆に僕らは普段の生活で、自分のやっている行為に、意識を向ける時間ってどれだけあるだろうか

 

いや、ほぼない(反語)

 

おそらく自分の感じている瞬間、頭は違うことを考えていたり、並行作業で違うことをしていると思う

 

思い当たる節はあるし、自分自身も今日の食事中に携帯を見ていた

 

 

 

慣れることで何が問題なのかって話だけども

 

それだけ、自分の感覚を無視しているってことは

 

 

 

段々自身が認識している自分が解離していくということ

 

 

 

本来受けている感覚の量と、感じている量が違っているということはそういうこと

 

無意識で動いている、とはそういうこと

 

慣れ、とはそういうこと

 

 

 

慣れが全て悪い訳ではないし、生活を円滑にするための手段なので必要なものだけども、そればっかり頼って、意識が他に向いていると自分というものがズレていきますよって話

 

 

 

もちろんこれが科学的に証明されているかは分からないけども、少なくとも身体のイメージでいえば証明されている内容

 

なので、自分の戒めとして、自分の行為に意識を向け、おかしいなと思う動きがあれば変化させてみる、という遊びを明日一日課してみる